氷川神社(昭和2年ころ)
この神社には(すさのおのみこと)という神様がまっつてあります。いつごろできたのかははっきりしませんが、このあたりの村ができ始めたころからあったそうです。この神社は、お不動様のある荘厳寺や十二社の熊野神社とも深いつながりがありました。氷川神社にある石灯ろうや石のこま犬には、荘厳寺の名前が彫ってあります。また、神主さんは熊野神社と氷川神社をかけもちで、秋のお祭りをしていました。昭和二十年(1945)五月の空襲で、私達の町とともに神社も焼けてしまいましたが、三十一年(1956)に新く建てられました。それが今の氷川神社です。この年に、小田急線が開通しました。
昭和25年祭り
現在地ファミリーマート(木原店)前から山手通りに向かい撮影。
祭りと子供たち

昭和10年ごろの玉川新水路(水道道路)
下の写真は、昭和十年頃に水道道路にある福島自動車さんが撮影した写真でカーブの先にガスタンク(現在、バークハイアットビル)が確認できます。下写真は、同じ位置から現在撮影したもので、地形の変化がないことにきずきます。
昭和初期の水道道路

山手通り昭和29年

牧場があったころ(大正のころ)
代々幡町に牧場ができ始めたのは、明治四十年(1907)ころからです。それまで、牧場は東京の町の中にあったのですが、家が増えてきたので、衛生のうえから町の外に移らなければならなくなりました。代々幡町は東京の町に近く、畑や空地も多く、牧場をつくるのには都合のよいところでした。大正十三年ごろには、本村だけでも十カ所に牧場がありましたが、関東大震災の後家が急にふえたので、さらに郊外にうつりました。
大正時代ごろの児童福祉センター付近
今の児童福祉センターのあたりは、昔、幡ヶ谷村の庄屋(村の役人)だった人の屋敷で、まわりは森になっていました。昔、村の高台には、森や林が沢山ありました。人々は、そこを切り開いて畑にしました。 後に、牧場が沢山できました。

大正のころの甲州街道を走る京王電車
大正元年(1912)、京王線も笹塚から調布まで開通し、次の年に、改正橋駅(今の初台駅)ができると、代々幡村の人口は増えはじめ、大正四年(1915)には、村から『町』にかわりました。