戦災直後のお不動様付近と焼け残った井桁金網工場
四号橋付近土手(現在地、パーラーあかね)より北に向いて昭和二十年五月末に戦災直後に撮影。右奥にお不動様の焼けた御神木と森が、右手前は滝島秦二郎邸、左が田中吉五郎(一三)邸。また、左下に一人立っている人物が確認できる、貴重な写真。
四号橋より北西に向かい昭和二十年五月末〜六月上旬に撮影。唯一、焼け残った井桁金網工場(現在は、パーラーあかね)、その先は中野まで残らず焼失した。
空襲直後の不動通りの様子
五月二十五日夜半から二十六日早朝にかけての空襲、不動通り中央裏より出火、続いて焼夷弾が落下他数名の負傷者をだし、呉服店に直撃落下出火、火の海その後はあちこちで出火。十数名が焼死者となり、不動通り坂下ドブ川の中や、水道道路大ガードでも各十〜二十名の犠牲者を出しました。

昭和20年、空襲で焼け野原になった上空写真で、中野から渋谷方面を望む
戦争は、昭和二十年(1945)八月十五日に終わりました。この戦争で、本町は、航空写真でも分かるように初台(本町1丁目)の一部分をのこして、(本町2丁目、不動通り付近)は、焼野原になってしまいました。お金のねうちはなくなり、人々は焼け残った着物や品物を、食べ物と交換したり、焼跡に野菜を作ったりして生きのびました。